あしひん日記

あしひニスト

共感能力はどのようにして決定されるか。俺が共感できない理由。

一つ思い至ったことがあるので、書いておく。共感能力のロジックとその特徴を考えたうえで、なぜ俺は共感能力が低いのかを書きとどめる。結論からすればロジックを書く必要は全くないのだが、これはささやかな反抗だ。

共感能力がどういったものかを、ある程度決めておく。共感能力とは、「他者の考えや感情を把握したうえで、それに寄り添うことのできる能力」のことをいうことにする。

共感能力がどのように発揮されるかは以下の3通りに分けられると思う。
①表情から察する
これは人の表情の性質を利用したものだ。人間という種は、同じような感情を抱いた時に同じような表情をするので、それを読み取ることで、他者の感情がある程度わかるということだ。
②他者の立場に自分を置いて想像する
これは、他者の経験を自分が追体験することで自身の感情にすり替えてしまうトリックだ。
③雰囲気
これは、違和感と言ってもいい。平時ならこうであろうというものから外れた時、人間はそれを察することができる。

以上3つが共感というものがどのようにして起こるかだ。次に、これら3つの性質を見る。具体的には、共感の精度と汎用性を検討する。ちょうど3つあるので高い普通低いの三段階で評価しよう。

 

①精度は普通。表情だけからでは感情の種類がわかるばかりで、実際に何があってどのように感じているかはわからない。汎用性は中くらい。まったく表情に出さない人間はそこまでいないだろう。
②精度は、場合に依ってしまう。他者の立場の理解度と精度は正の相関関係にあるだろう。汎用度は低い。他者の立場を知らなければならない以上3つのうち一番使いづらいだろう。
③精度は低い。既に形成された雰囲気にあって、違和感の正体を掴むのはなかなかに難しい。汎用度は高い。複数の人間がいるということで感情が外に出ている可能性が高まる。

 

なぜ俺が共感できないのか。ロジックのほうに問題があること、そして、ある重大な欠陥があることに気付いた。
①については問題ない。一時期人の顔を覗き見て、いつもと少しでも違うところがあれば「ねえ今どんな気持ち?」と尋ねていた俺が、それをしていない他者に、表情からの感情判定で負ける理由はない。
②については、問題がある。俺は他者に興味がないので、他者の立場を知り得ないのだ。たとえば、中学校を想像してほしい。中学のクラスメイトに対して俺が知りうる情報は、クラスメイトであること、性別、名前、顔の4つだ。他者に興味のある人間であれば、所属する部活動、家族構成、好きな食べ物などいくらでも他者の情報を知りえるのだろうが、俺はそうではない。つまり、俺は他者に興味がないために他者の立場を理解できず、共感できないのだ。
③については問題ない。さすがに雰囲気くらいはわかる。ナメるなよ。

ロジックについては上の通りだが、次に重大なことを書いておく。先ほど、共感能力のふわふわ定義をした。それによると、共感能力は、理解したものに寄り添うことまでも共感できる条件にしているのだ。これだ。俺は、今までの行為を思い返して気付いた。人がどう感じていようと俺が言うことは変わらないというスタンスを取ってきたのだ。過去に、「俺だって共感ぐらいできる!共感したうえで人の神経を逆なでするようなことを言っているだけなのだ!」と主張していたが、それは共感ではなかった。共感能力は外からの評価であるのだ。俺がどう思うかは重要ではない。相手がどう思うかが重要なのだ。それを受け入れられない時点で、共感できないことになる。ああ!!人の世が憎い。